不登校が悪いって決めつけは良くない

不登校

こんにちは、やさプロのしょう(@yasapuro)です。

不登校の人は、なにかと自分を責めてしまう傾向がある気がします……

不登校でも幸せに生きていたら、それ以上のことはないと思うのですが、皆さんはどう思いますか?

不登校は悪いのか

「不登校は甘えだ」とか「不登校はズルをしている」とか言われることがありますが、本当にそうでしょうか?

人には向き不向きがあります。

  • 単純作業が好きな人もいれば、苦手な人もいる。
  • カレーライスが好きな人もいれば、苦手な人もいる。
  • 体を動かすのが好きな人もいれば、苦手な人もいる。

それと同じで不登校というのも、学校が苦手な人と言い換えることができるのではないでしょうか。

毎日決まった時間に着席し、決まったクラスメイトと一緒に授業を受けるのが苦手というだけだと私は思います。

私は、授業中にお腹痛くなったらどうしようとか、先生に当てられたら答えれるだろうかとか、いろいろなことが不安になって体調を崩すこともありました。

そんなことでと思うかもしれませんが、当時の私にとっては大きい悩みでした。

選択肢は少ない

不登校は悪くはないと思いますが、実際のところ問題はあると思います。

不登校になった場合に、教育を受けられる場というのはあまりないように感じます。

フリースクールなどがあるにはありますが、日本の教育は学校教育ありきで考えられているような気がします(それでも、僕が中学生だった頃よりは格段に受け皿は増えています)。

進学についても選択肢が狭まります。

学校にどうしても行けない場合は、全日制という選択肢は選びにくいです。

定時制や通信制の方が自分のペースで通いやすいと思います。

コミュニケーションの経験が少ないと、大人になったときに苦労することがあるかもしれません。

今は、インターネットのおかげで家にいても比較的他人とのコミュニケーションは取りやすいですが、対面でのコミュニケーションの経験は積みにくいです。

僕は今でも対面で人と話すのは苦手です。

個人的には、選択肢が多すぎて判断できない人も見てきたので、選択肢が狭いこと自体は問題ではないと思います。

ですが、自分のやりたいことができるくらいには選択肢を持てていないと生きづらさを感じるかなと思います。

幸せに生きることはできる

学校が合わないということは逆にチャンスでもあります。

自分の人生をじっくりと考える時間があります。

学校に行っている人とは違った価値観で世間を見ることができます。

自分の好きを突き詰めて専門性を高めることができます。

また、焦る必要はありません。努力できるときに努力したら良いのです。

自分のやりたいこと、探求したいこと、楽しいこと、それらを探して負担にならない範囲で身に着けていけば、それが強みになります。

私の場合は、自分の好きなことは何だろう?続けられることは何だろう?と思い、小説を書いてみたり、イラストを描いてみたり、手品の練習をしてみたり、いろんなことに挑戦しました。

最終的に続いたのはパソコンでした。

そのパソコン好きが高じて応用情報技術者の資格を取りました。

情報処理の知識が身についたので、よりパソコンが面白くなりました。

資格に合格したことで自分に自信が付きました。

動けるようになったら、どんどん動いてみるのが幸せになる近道かなと思います。

まとめ

不登校は単に生き方の1つだと思います。

将来が不安になることもあるでしょうが、不登校というだけでどん底の人生になるわけではありません。

少なくとも私は今、幸せな人生を送っています(当時はしんどかったけど)。

大人になって思うことは、人生はテレビやインターネットで見聞きして想像していたよりずっと楽しいです。

コメント

タイトルとURLをコピーしました